単純に比べるなら、それは定量的なほうが楽である。大量に比べなければならないときもそうだ。だから受験というシステムは、定量的な判断が主体になっている。その影響がどうか、時代を下るにしたがって、数値で客観的に物事を判断する傾向が強まっている。だけど、あなたが大切な友人を人に紹介するときに、(彼は、身長○cm、体重○○kg、体脂肪○%、年収万円……」なんて風に紹介したりはしない。「昔からの友人で、そりゃあもう腐れ縁を絵に描いたような奴なんだよ。
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特技は、旅先でバイトを見つけること。たとえば……」というようになるのではないだろうか。つまり主観的な判断が反映されていないと、聞いていて面白くもなんともない。定量的、客観的な判断が悪いのではなく、定性的、主観的な判断でも、もちろん完全ではない。この種の議論を続けていると哲学になってしまうので、この辺でやめておくけれど、要は自転車旅の本質的な価値は、数字では表現できぬということだ。あなたが面白ければそれでいいのだ。人と競り合ってもあまり意味はない。だいたいが、私だって人に自慢できるほどの長期間の遠征や、海外ツーリングの経験もない。私の敬愛する大先輩で、トラック競技もサイクリングもともに楽しむMさんは、競技では徹頭徹尾記録にこだわり、そのために毎日相当量のトレーニングをこなす。50代になってから自己最高記録を出したのだからすごい。海外でのアマチュアレースでもメダルを獲得している。そのMさんだが、サイクリングのときには、サイクルコンピュータもつけない。氏曰く、「サイクリングはな、白鳥、楽しく走れればそれでいいんだよ」。私など、「今日は久しぶりに100km走れたなあ」と数字で納得したりすることが実はよくある。まだまだである。